斜里朱円周堤墓群
土堤が円環状にめぐることから長らく環状土籬(かんじょうどり)と呼ばれていたが、調査の結果、同様な遺跡すべてが墓であることが明らかとなり、現在は「周堤墓」と呼ばれている。
昭和23〜24年河野広道氏の発掘調査により、縄文時代後期の遺跡であることが明らかとなる。住居とは別区画に墓を構築するという要素は、斜里では縄文後期までは見られない墓制であった。当遺跡は約30 mほどの間隔を空けて東西2箇所に周堤墓が構築され、周堤内には地表面に大小様々な石を敷き詰め、その下に墓が作られている。周堤墓のうち、西側に位置する28m規模のA号は少なくとも20基以上の配石墓があったと思われるが、開墾の際に多くの石が搬出されている。また、東側に位置する32m規模のB号は、土堤内中央の1箇所のみ配石墓が確認されている。
これらの墳墓からは人骨のほか、土器や石器、両頭の石棒、漆器残片や玉類などの副葬品が見つかっている。墳墓から出土した土器は東北地方に由来した文様を持つため、この時期に東北地方の文化的影響が道東地域にまで及んでいたことを示している。
出土品は北海道指定文化財(考古資料)として知床博物館で常設展示。
名称 | 斜里朱円周堤墓群 しゃりしゅえんしゅうていぼぐん |
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種別 | 史跡 |
指定 | 1957(昭和32)年1月29日 |
場所 | 朱円西区東一線 |
所有者 | 斜里町 |
面積 | 1.4 ha |
交通機関
JR知床斜里駅より自転車30分またはJR知床斜里駅より斜里バス「ウトロ温泉」方面行きに乗車、朱円西区バス停で下車、徒歩5分
参考
- 特別展図録
- 第2回特別展図録「オクシベツ川流域の先史文化」