文化財
自然と歴史 アイキャッチ 知床博物館
斜里神社石灯籠

1834(天保5)年に奉納された一対の石灯籠。三上伴七(当時のシャリ場所支配人)と畑藤清六郎右衛門(シャリ場所を請け負っていた藤野喜兵衛の持ち船住吉丸の船頭)が寄進したものと考えられている。近世のシャリ場所の繁栄を今に伝 […]

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地名
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アイヌ語地名

北海道の地名の多くは、もとからあったアイヌ語地名に由来しています。しかし、開拓が進み、移住者が増加したことで新しい地名や呼び方ができ、その意味は忘れられつつあります。また地域によっては、古くからのアイヌ語地名はしだいに姿 […]

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研報
出版物 アイキャッチ 知床博物館
研究報告 第25集

知床博物館研究報告 第25集(2004)目次 和文タイトル 北海道の海獣観察プログラムの現状と課題 宇仁 義和 1–6 PDF (3.2 M) 宇仁義和知床半島にゼニガタアザラシの繁殖場はあったか 宇仁 義和 7–12 […]

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文化財
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津軽藩士死没者の供養碑

この碑は1807(文化4)年におきた津軽藩士殉難者の慰霊のために1812(文化9)年、前田久太郎、尾本太吉、惣番人中を施主として下町に建立された。一体は1894(明治27)年に皆月寺(後の西念寺)に安置したが、1952( […]

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津軽藩士シャリ陣屋跡

1807(文化4)年、幕府より斜里地方の沿岸防衛を命ぜられた津軽藩は7月から藩士100名が駐屯して沿岸警備にあたった。このとき斜里前浜に建てられた陣屋3棟(3間x12間2棟、3間x10間1棟)の場所を「松前詰合日記」から […]

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津軽藩士墓所跡

1807(文化4)年におきた津軽藩士殉難事件の犠牲者を弔うため、桧材で墓標を建てたことが記録が残されている。また、1893(明治26)年の斜里他四ケ村戸長役場の文書にも津軽藩士墓所の記載が見られる。現在は地上にはその形跡 […]

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シャリ運上屋(会所)跡

シャリ運上屋の創設は1790(寛政2)年以降と推定され、その頃当地方を巡視した幕吏、谷口青山の絵図(1798(寛政10)年作)にも当時の運上屋と弁天社の風景が描かれている。 運上屋は初め和人とアイヌ人との交易所として発足 […]

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津軽藩士死没者の過去帳

幕府より斜里地方の沿岸防衛を命ぜられた津軽藩は1807(文化4)年7月から藩士100名あまりを派遣し沿岸警備にあたった。しかし越冬期間中浮腫病の蔓延によって70名あまりが死亡し、翌年故郷の津軽へ帰還した藩士はわずか17名 […]

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斜里海岸の草原群落

斜里川西方の海岸、東西約2.5 kmにわたる自然草原の群落。6月から10月にかけエゾスカシユリ・ハマナス・エゾカンゾウなど50種をこえる野生の草花が観察できる。花盛りは6月初めから7月末。周囲は網走国定公園に指定され、遠 […]

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オシュンクシュン粗粒玄武岩柱状節理

ウトロの南西約5.5 kmに位置するオシンコシン崎にあり、そしてその姿から「俵石」と呼ばれている。ここに分布する第三紀中新世の頁岩層に粗粒玄武岩の岩脈が貫入するという地下でのマグマ活動に加え、オホーツク海の激しい風化作用 […]

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