鉄道

執筆:峰浜小学校教諭(当時)、宮内盛一

殖民軌道斜里線

殖民軌道斜里線は1932(昭和7)年に斜里~知布泊間(17.9 km)が開通した馬車鉄道である。沿線の農林水産物の運搬や開拓農家への物資供給の動脈として、地域開拓に重要な役割を果たした。第2次世界大戦中に酷使され荒廃し、道路の開通や自動車の普及などもあり、1951(昭和26)年に廃止された。

殖民軌道の廃止後、各種の備品やレールなどは払い下げられ、各種用途に用いられた。その一部は町内に現存し、軌道のおもかげに触れることができる。

峰浜小学校のバックネットの柱には殖民軌道のレールが使われている。建設時期は不明であるが、聞き取りによると1965(昭和40)年頃にはすでにあったと言われている。レールとして使われなくなってから40年以上この場所に立ち、峰浜小学校の子どもたちの成長をハルニレの大木とともに見つめている。

知床博物館の常設展示では殖民軌道斜里線で使用された6 kg/mのレール(軌条)や糠真布川を渡る殖民軌道の写真を展示している。

国鉄根北線

走るレールバス(越川付近、撮影年代不明)

国鉄根北線は1938(昭和13)年に斜里~越川間が着工され、1940(昭和15)年には路盤工事が終わり、一部では線路が敷かれたが、第二次世界大戦の影響で工事が中止され、翌年には線路も撤去された。1953(昭和28)年に再び測量が行われ、1957(昭和32)年11月10日に斜里~越川間が開業した。

途中、以久科、下越川の2つの駅に加え、後に以久科~下越川間に西2線、下越川~越川間に14号、16号と合計3つの仮乗降場が設けられ、沿線住民の利便が図られた。

しかし、旅客、貨物ともに輸送量が少なく、1970(昭和45)年11月30日に廃止された。未開業区間の越川~根室標津間は一部着工され、第一幾品川橋梁(旧国鉄根北線越川橋梁)などが竣工していたが開通することはなかった。

知床博物館の常設展示では、根北線越川駅で利用された鳥居型の駅名板や1970(昭和45)年に放映されたNHK新日本紀行「ある廃線」のダイジェスト版を放映している。この番組はこの年に廃止された国鉄根北線と、鉄路にまつわる人間模様を描いた番組で、展示されている越川駅の駅名板も登場する。沿線の映像や、さよなら列車の出発式の様子などが記録されている。

国鉄9600形式蒸気機関車

国鉄9600形式蒸気機関車は、国鉄を代表する貨物用機関車である。ボイラを動輪の上に置いた広火室で、缶中心高は8フィート6インチ(2,591 mm)である。

1913(大正2)年に第1号機が誕生し、1926(大正15)年まで770両製造された。蒸気機関車としては、後に誕生するD51形式(1,115両)に次ぐ製造両数である。

貨物列車の牽引用、駅構内等の入換用として各地に配置され、北海道では特に線路規格の低い路線で使用された。1976(昭和51)年3月2日、国鉄における最後の蒸気機関車運用(北海道追分機関区の入換用機関車)として使用された機関車は本形式である。

59683号機

本機は9600形式機関車の第584号機である。1922(大正11)年6月26日に川崎造船兵庫工場にて竣工され、長野県木曽福島機関区に配置された。

1975(昭和50)年帯広運転区で廃車の後、釧路鉄道管理局より貸与され、斜里町開基100周年記念事業として、1978(昭和53)年斜里町町民公園に設置された知床博物館の屋外展示物である。

9600形式蒸気機関車第三動輪

使用された機関車の番号は不明だが、大八(= 1919(大正8)年)の刻印が認められる。貴重な産業遺産として、また、博物館入口のモニュメントとして2004(平成16)年知床博物館駐車場入口に屋外展示された。

屋外展示期間

4月下旬から11月初旬まで(冬期はシートをかけて保護しています)

参考文献

  • 郷土学習シリーズ第20集「斜里・知床の近代化遺産」
 
shizen_rekishi/tetsu.txt · 最終更新: 2010/07/29 22:00 by uchida